金相場が1オンス(28・35グラム)当たり3500ドルを記録した、という記事(4月22日付)をニューヨークタイムズ電子版で見つけたとき、私は自分がニューヨーク特派員だった1991年の夏に訪れたニューハンプシャー州ブレトンウッズの美しい風景を懐かしく思い出していた。
(美しいブレトンウッズの光景=1991年撮影)
家族とともに夏休みのドライブで初めて国境を超える運転をしてカナダへ。その帰りに泊まったホテルが偶然にも「マウントワシントン・ホテル」。1944年7月に連合国44か国が第二次世界大戦後の世界経済体制づくりで合意した記念すべき場所だった。
ブレトンウッズ会議で設置が決まった国際機関として有名なのが国際通貨基金(IMF)と世界銀行だ。第二次世界大戦が世界恐慌と関税競争・ブロック経済化の帰結だったことを反省し、二度と不幸を繰り返さないために、国際収支の不均衡を是正し経済危機を克服するために力を合わせるため創出した機関で、「ブレトンウッズ機関」として現在も重要な役割を果たしている。
この会議では、ドルを基軸とする国際通貨体制についても合意が成立した。1オンス=35ドルという固定相場で世界経済の反映と安定の礎にしようということになった。
各国代表が会議を開いて合意した部屋は「ゴールドルーム」と名がつけられ、保存されていた。金が当時の対ドル相場の100倍にまで高騰したことは、裏を返せばドルの価値が100分の1まで下落したというわけで、これを知ったら会議の参加者たちは何と言うだろうか…という空想に私は耽った。
会議のイギリス代表は、20世紀を代表する経済学者ジョン・メイナード・ケインズだった。基軸通貨として、ドルでもポンドでもなく、主要国通貨のバスケット方式で計算した「バンコール」という通貨を創出して、特定の通貨の変動の影響を受けにくく安定した基軸通貨にするといういわゆる「ケインズ案」を提唱した。
ところが、世界経済の中心国に躍り出た米国の通貨ドルを基軸にすべきだと唱えた米国代表ハリー・デクスター・ホワイトの「ホワイト案」が大勢を占め、ケインズ案は退けられてしまう。
持病の心臓病に苦しみながらの論戦はケインズの寿命を縮めてしまったのだろう。帰国後まもなくケインズは死去。遺灰は遺言に従いロンドン郊外の丘陵地に撒かれた。
ケインズがいまの事態を知れば、「みなさん、私のバンコール創出案を、もう一度検討してくれませんか」とでも言うのではないかと思う。
ブレトンウッズ会議から80年が経った。
この間、1971年にはニクソン大統領の声明によって金とドルとの交換停止が発表された。米国からの金流出がとまらなくなったためで、これにより金とドルがリンクしていた狭義のブレトンウッズ体制は崩壊。1973年に各国は固定相場制から変動相場制に移行した。ドルはこの時点で金による支えを失ったが、それでもサミット参加国などとの協調により基軸通貨の地位を保ってきた。
だがここへきて米国のトランプ大統領が世界経済を分断と不況あるいはスタグフレーションに追い込むような高関税政策を打ち出し、ドルと米国の地位の陰りが鮮明になった。市場重視の慎重派とされるベッセント財務長官までが公然とIMFや世銀を批判している現状は、ケインズに限らずアメリカ代表ホワイトなどほとんどの参加者からみれば嘆かわしいものと映るに違いない。
ドルの対金相場が100分の1にまで落ち込み、基軸国アメリカの求心力をみずから放棄するような大統領のおこないが、恐慌の引き金を引いたり、世界大戦の悪夢を再び呼び込んだりしないようにと祈らずにはいられない。